ちゃんぽんのルーツは福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代 陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽん』である。
今日では缶詰や冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物、蒲鉾、竹輪、イカ、うちかき(小ガキ)、小エビ、もやし、キャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。季節による食材を使っていたことから『ちゃんぽん一杯で四季が感じられる』料理と言われ、また『和』と『華』の融合、長崎の山海の幸から、長崎だからこそ創りだされた郷土料理とも言われている。
料理法はまず鉄鍋を煙がでるくらいに焼き、肉を入れ具類を油でいため、強火でよくかき混ぜて風味をつける。スープは丸鶏2~3羽と豚骨と鶏骨を3~4時間かけて炊き上げたものを使う。このスープの取り方と火加減が秘訣となる。
麺は麦粉に唐灰汁(とうあく)を入れて作った独特のものだが、独特の風味が出てまた腐敗防止にもなる。ラーメンや中華麺は、かんすい(炭酸カリウム約90%)で小麦粉をこねるが、ちゃんぽんの麺は唐灰汁(炭酸ナトリウム約90%)の水でこねた長崎特有のもので、福建地方の食文化が活かされている。こうしたちゃんぽん玉(麺)、今では長崎市を中心に50社余りが製造しており、関西、関東方面に積極的に営業を展開し、その生産額は10億円を超えると言われる。
現在、長崎市内には百数十軒の中華料理店があるが、ちゃんぽんを供する店は更に多く千軒以上あると言われる。『ちゃんぽん』のという名称の由来は当初、支那うどんと名付けられていたものが、明治時代の後期頃からどのようにして『ちゃんぽん』と呼ばれるようになったのか・・・。中国語というと一般的に北京語(普通語)のことを指すが、広大なこの国には、数えきれないほどの方言があり、その方言も殆ど外国語のようなものでコミュニケーションがとれないことが少なくない。その一つに福建語があり、『吃飯(福建語でシャポン又はセッポンと発音する)』という言葉がある。『ご飯を食べる』という意味だ。
当時、親しい人に出会ったとき『吃过飯了嗎(ご飯を食べたか?)』と挨拶していた。その時々の関心事が挨拶になることは世の常であり、例えば、梅雨などの天気であったり、商売が儲かっているかどうかなど・・・。
この時期の華僑や留学生にとっては貧しい時代であり、日々の食事が最大の関心事であった。『吃过飯了嗎(ご飯を食べたか?)』と挨拶されて『していない』と答えると『では、うちで食べていきなさい。』と言っていたのかもしれない。この挨拶言葉の『吃飯』が長崎人の耳にふれるようになり『支那うどん』と同義語になり、ついには『ちゃんぽん』になったのでないか。つまり華僑や留学生の会話のなかに活きた言葉として生まれたものと考えられる。また、江戸時代すでに『チャンポン』という言葉があったという説。中国の鉦(かね)のチャンと日本の鼓(つづみ)のポンを合わせて『ちゃんぽん』と言った。異質の音が混合した造語であり『支那うどん』と同義語になり『ちゃんぽん』と呼ばれるようになったと言う説もある。
因みに、1997年10月に四海樓の三代目当主とその長男が、初代平順の生まれた故郷を訪ねた際に『ちゃんぽん』の語源と考えられる『吃飯(福建語でシャポン又はセッポンと発音する)』を聞くことができ確認している。